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寺脇城址(詰の城浜城)
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立地
名倉川上流右岸の水田地帯、寺脇地区にある。
県指定八幡神社の北東約三〇〇メートルに位置する。
標高七〇一メートル、比高二五メートルの丘陵地、約
一五〇メートル四方の規模で、本曲輪を中心に南と東
側に曲輪が広がり、土塁や空堀が残る。本曲輪約一〇
六八平方メートルの北側は大土塁が築かれ、その下に
空堀、そして急斜面が麓の池まで続く。
東側は搦手口と五段からなる東曲輪となる。南側は枡
形の大手口から、数段の南曲輪・大空堀、そして大手
門につながる。西側は大土塁と空堀、そして麓まで急
斜面がつづく。城址の北東部には、標高八八一メート
ル、比高約一八〇メートルの山頂に詰の城である、浜
城につながる登り口がある。

城歴
立地
名倉川上流右岸の水田地帯、寺脇地区にある。
県指定八幡神社の北東約三〇〇メートルに位置する。
標高七〇一メートル、比高二五メートルの丘陵地、約
一五〇メートル四方の規模で、本曲輪を中心に南と東
側に曲輪が広がり、土塁や空堀が残る。本曲輪約一〇
六八平方メートルの北側は大土塁が築かれ、その下に
空堀、そして急斜面が麓の池まで続く。
東側は搦手口と五段からなる東曲輪となる。南側は枡
形の大手口から、数段の南曲輪・大空堀、そして大手
門につながる。西側は大土塁と空堀、そして麓まで急
斜面がつづく。城址の北東部には、標高八八一メート
ル、比高約一八〇メートルの山頂に詰の城である、浜
城につながる登り口がある。

城址麓の墓石(初代城主後藤弾正の墓と伝わる)

 城址付近には、城に関する地名や墓石・井戸などが残
されている。
 寺脇城の築城については鎌倉時代に後藤弾正により築
かれたと推定されているが、明確な記録は欠き明らかではない。

船戸橋の戦い

永禄元年4月、織田信長の属将岩村城主遠山影任の軍が名倉に攻め込んできたとき、寺脇城主奥平松千代(のち信光)が防戦にあたり、船戸橋において激戦し遠山勢を退け数々の戦功を立て、今川義元から感状を受けた。
住所 城址所在地 設楽町東納庫字軒山15
電話番号 0536-62-1000(設楽町観光協会)

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