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寺脇城址
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立 地
名倉川上流右岸の水田地帯、寺脇地区にある。
県指定八幡神社の北東約300mに位置する。標高701m、比高25mの丘陵地、約150m四方の規模で、本曲輪を中心に南と東側に曲輪が広がり、土塁や空堀が残る。本曲輪約1068㎡の北側は大土塁が築かれ、その下に空堀、そして急斜面が麓の池まで続く。
東側は搦手口と5段からなる東曲輪となる。南側は枡形の大手口から、数段の南曲輪・大空堀、そして大手門につながる。西側は大土塁と空堀、そして麓まで急斜面がつづく。城址の北東部には、標高881m、比高約180mの山頂に詰の城である、浜城につながる登り口がある。
 
城 歴
鎌倉末期に後藤弾正の居城といわれ、戦国時代に作手奥平氏二代貞久の六男貞次が天文元年(1532)頃、当地に分出し名倉奥平氏が本城とした。二代喜八郎信光の時、慶長五年(1600)家康の四男忠吉に属し、忠吉が尾張清州に封ぜられると、慶長七年(1602)頃、信光も清州に移ったといわれる。
 
見どころ

城址麓の墓石(初代城主後藤弾正の墓と伝わる)

城址付近には、城に関する地名や墓石・井戸などが残されている。
寺脇城の築城については明確な記録を欠き明らかではない。鎌倉時代に後藤弾正・戦国時代に奥平信光が知られている。

船戸橋の戦い

永禄元年4月、織田信長の属将岩村城主遠山影任の軍が名倉に攻め込んできたとき、寺脇城主奥平松千代(のち信光)が防戦にあたり、船渡橋において激戦し遠山勢を退け数々の戦功を立て、今川義元から感状を受けた。
愛知県文化財保護指導委員 加藤博俊

 

寺脇城 御城印(設楽町観光協会 山城御城印)

令和3年3月1日より、“設楽町観光協会窓口”にて、設楽町の10城の「御城印」を販売しております。
【価格】1枚300円(税込)/10枚セット3,000円(税込)
【城名】長江城・清水城・小鷹城・湯谷城・田峯城・岩古谷城・田内城・寺脇城・鍬塚城・津具城(10城)
※「バラ売り」「まとめ売り(10枚セット)」どちらも可能です。

【所在地】設楽町清崎字中田17-7
     道の駅したら2階
【販売時間】9:00~17:00
※土日祝の販売については現在調整中です。
 
住所 設楽町東納庫字軒山15 ほか
電話番号 0536-62-1000(設楽町観光協会)

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